なぜ神を信じるのか?

私たちCARPは、神の存在を信じています。

 

こう言うと、神を信じない方は少し驚かれるかと思います。

いるかどうかも分からない存在を、「いる」と信じることは理解しがたいことでしょう。

もし神が本当に存在しなければ、信仰とはまさに狂気の沙汰と言えます。

 

では、「なぜ神を信じるのか?」と問われれば、

 

「神様が大好きだから」 

「(神を信じることが)幸せだから」

 と答えます。

 

統一原理」における神とは「親」です。

親と言っても、人によって様々なイメージを抱くかもしれませんが、

 

「私たちが想像できるレベルを遥かに超えて、私を愛してやまない、最高に理想的な父母」のことです。

 

常に私のすべてを理解し、親身になって同情してくれる存在。 

私を誰よりも尊重してくれる存在。 

いつも私と一緒にいて、私を守ってくれる存在。 

そして、私のために自らのすべてを与えようとする存在。

 

現実にはちょっとあり得ないような存在ですが、もしこんな存在がいるなら、一目お目にかかりたいと思いませんか?

 

「そうか、そういう存在ならいてほしい」と、私たちは神を信じるようになります。

 

さらに、神の愛をだんだん知っていくと、「できるなら神に会いたい」と思うようになります。

そして私たちが真剣に神を求めた時、やがて人は神に出会うようになるのです。

 

その“出会い”は人それぞれですが、必ずと言っていいほど神の“熱烈な愛情”に触れます。

(それを私たちは「神体験」と呼びます)

 

その愛は、温かかったり、ユーモラスだったり、時に怒っていたりしますが、神の愛に触れた時、人はあまりの幸福感に全身が打ち震え、涙が滝のように流れることもあります。

 

“神がリアルにいる。見えず、聞こえないけど、確かにいる、感じる…

  私はこんなにも愛されていたのか!” と。

 

まるでマンガのような描写ですが、当の本人にとっては真剣そのもので、それは何物にも代えがたい「親子の再会」であり、心の中に大切にしまっておきたい珠玉の記憶となります。

 

こういう体験を果たした人たちにとって、神はもはや“信じる”というより、“いる”のです。

「(神は)いるはずがない」と言われても、「いや、いるんです…」という感じなのです。

 

もちろん信仰にもレベルがあり、神との出会いも人それぞれで、まだ出会えていないという人もいるでしょう。

 

しかし、信仰者に共通しているのは、神を求める心、神を慕う心であるのは間違いありません。

 

私たちがなぜ神を信じるのか、それは、私たちが神を慕ってやまないからなのです。